俗流フクシマ論批判、なぜ話が噛み合わないのか?
俗流フクシマ論批判、なぜ話が噛み合わないのか?
まったく・・・、もって、もって、よくわかる!!
貼付した開沼博氏からの引用文章を読んでほしい!
僕は、このページを昨年夏までで3年間運営してきた
そして、その種のコメントや嫌がらせに閉口してきた
昨年の初秋・・・、バカバカしくなったとページでいえば
読者に失礼だ???などと、さらに馬鹿馬鹿しいコメントが
返るので一時休刊してきた
今回、福島の真実というタイトルを残し、放射能汚染に関わらず
僕たち一般市民として自分たちの生活に直結するようなテーマで
このページを再開しようとしている
僕のスタンスは最初から、そして今も、また未来も変わらない
ひとりのアーティストとして自分たちの市民生活に直接かかわる
社会問題について、自分たち自身は、どう考えて、どう対応する
のがベターなのかについて意見や情報を交換しよう!!という
だけだ
福島の正しい情報を教えて欲しい・・・という馬鹿が後を絶たない
・人もものを尋ねるなら、普通はまず自己紹介するだろう?
・尋ねるに値するのか相手を確かめるために相手の著書を読んだり
言動を静かに聞くだろう??
このfacebookには自己紹介もできず、相手も確かめず、自分に都合
のいい解答だけを期待して、自己満足すれば、こいつは良い奴だと
馬鹿騒ぎする。その逆また然り・・・という白雉で氾濫している
<注>何度も言っているが、このページは情報提示を基本に留める
僕と意見交換を希望される方は有料+会員制の<懇談会>に
ご登録してください
さて、昨年の秋の時点で名古屋で甲状腺異常者が急増している
だから鈴鹿山脈の手前の三重県も怪しい・・・と危惧する人々が
増えている(これは統計的見地でなく僕個人へ寄せられる情報からの
判断です)
基本的に今日の日本人は餓死する心配はなく、SEXも適当に開放的に
なっているので食欲や性欲の社会問題は少ないと思う
人々は自分が満足できる社会的地位や生活環境での人間関係や信頼
関係の維持向上、そのための個人財物の維持向上をベースに日々の
生活を送っているのが一般的だ
僕は健康維持向上という欲に無頓着なのが不思議に思う
福島から避難した人々、現地に留まっても積極的に反対活動を行う
人々に共通するのは健康についての価値観が生活の心棒にあること
そして自分の生活環境に妥協し我慢をする人々に共通するのは前述の
通り社会的地位と財物の維持を生活心棒に置いている
この比率は10対1がいい処じゃないか?
はたまた20対1が相当じゃないか・・・と個人的に感じる
つまり福島の放射能汚染に興味のある人々は潜在的興味も含めて
10%がマックスあるいは5%がマックスで他は完璧に無関心じゃ
ないだろうか?
いまでは実態として福島よりもすでに東京のほうが危なくなっている
その東京の比率は50対1程度じゃないだろうか?
すると日本は戦時中の総玉砕と本気で叫んで突っ走った、あの頃のように
総被ばくに向かってまっしぐらに突っ走り始めたと判断してよいと思う