人、それぞれの天命・・・
人は生まれながらにして唯一無二なのだと思う
それぞれに様々な役割を背負って誕生し、様々な思いを刻み元の場所に戻っていく
人は他人に見える何をしたのかで評価されるのではなく
他人には見えない背負って誕生した宿題をどれほど丹念に応えたのか?で
評価されるように思う
そして、その評価の点数で不足する部分はまたつぎの誕生の時に背負ってくる
ような気がする
数奇な運命を辿る人々は意外と多い
みんな頑張って、それぞれが全うできるのが、いいなぁ~!
Shoichiro Ikenaga さんからのシェア
https://www.facebook.com/shoichiro.ikenaga
<二つの祖国>悲しみ共有 前を向く/(下)天命 2015年03月31日火曜日 河北新報
「再び命をいただきました」 2011年夏、横浜市であった講演会で、ルワンダ大虐殺を生き延び、福島市に移住したカンベンガ・マリールイズさん(49)はこう切り出した。 ルワンダ大虐殺で難民となり、以前に10カ月間滞在した縁で福島の人たちに助けられた。第二の古里と決めた福島で4年前、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に遭った。 「自分だけの命ではない。他人のために生かされた」。「天命」との思いは、3.11を経てますます強まっている。
★ ルイズさん一家の救出という大役を果たした福島の救う会は、2000年、NPO法人「ルワンダの教育を考える会」に衣替えし、ルイズさんが理事長に就任した。 福島を拠点に活動資金を得て、ルワンダの首都キガリに学校を建てて運営に取り組み、母国の発展を第二の古里から支援してきた。 そんな中、大地震と原発事故が起きた。発生から1カ月を待たず、ルワンダ・コーヒーや紅茶、手作りクッキーを車に積み込み、県内各地の避難所を回り始めた。 「難民キャンプでは、人が訪ねてくれるととても勇気が出た。とにかくできることをしようという思いだけ」 2月下旬、ルイズさんは二本松市赤井沢にある浪江町民のための旧平岩小仮設住宅にいた。11年夏から月1回、「ルワンダカフェ」を開き、交流を深めている。 自治会長の天野淑子さん(63)は「ルイズさんと話をすると自然と涙がこぼれてくる。私の方が年上なのに、母のように慕っている」と打ち明ける。 天野さんは震災の発生直後、前橋市に避難した。現在の仮設に11年8月に移ったが、ほぼ1年間、ショックで引きこもり状態だった。12年4月、ルイズさんと出会い「人と壁をつくらない性格に癒やされ、少しずつ変わった」と感謝する。
★ 変化はほかにも起きた。仮設では、大量に届いた善意の古着をどうするかが課題だった。ルイズさんは「リメイクし、有効活用してみたら」と提案。住民が作業を通じ、仮設内で役割を得られるとの思いもあった。 仮設に引きこもりがちだった女性たちが震災前のようにミシンを踏み、古着をほどく。「古着の再生を通じ、仮設全体が活性化した」と天野さんは振り返る。 活動的なルイズさんは周囲からよく、「福島への恩返し?」と尋ねられる。 「恩返しなんかできない。これまでも何一つできていない。ただ、住み慣れた古里を『突然出て行け』と言われ、しかも身内まで失った経験は多くの被災者と共有できる」 3年前に日本国籍を取得し、福島は文字通り第二の古里になった。1万2000キロ離れたルワンダと福島。二つの祖国をこれからも生きていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 福島県浪江町の避難者とリメイクした古着を選ぶマリールイズさん(左)。古着を再生して販売するいわき市のNPOと、仮設住民の橋渡しをした=いわき市