<考古学ロマン・・・> 縄文人の時間軸、空間軸の捉え方、そして、縄文人の時間軸、空間軸にも関わってくる封印された第3の目(第6チャクラ)の秘密
繩文時代と彌生時代では人間の考え方も違う。もう人間の質自体が全く違うんじゃないかなって思ってしまう。そして、繩文の土偶を見てみましょう。繩文の土器を見てみましょう。物凄いアートなんですよ。それも直線ではなくて曲線で。そういうことを見ていくと、この繩文土器を作るためにはどういう意識だったかなというところに自分の意識を合わせると、いろんなキーワードが閃いてくる。
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繩文時代から續いていたもので、今の時代に殘っているものはたくさんありますよね。それが繩文アートとして位置付けられますが、皆さんがよく知っているのは繩文土偶と、繩文土器。 これは写真でも博物館でも見たことある靈止(ひと)いると思います。彌生の土偶は土偶と言いませんよね。埴輪なんですよ。彌生の土器は繩文のそれともろ違いますよね。 だから、繩文時代と彌生時代の人間の考え方も違うから、もう人間の質自體が全く違うんじゃないかなって思ってしまうようなものなんですよ。そして、繩文の土偶を見てみましょう。繩文の土器を見てみましょう。物凄いアートなんですよ。それも直線ではなくて曲線で。そういうことを見ていくと、この繩文土器を作るためにはどういう意識だったかなというところに自分の意識を合わせると、いろんなキーワードが閃いてくるわけですよね。
細かい紋様が。それを見てすぐに分かりました。完全に大麻の繊維が形付けられてるんですよ。だから、繩文の繩は繩っていう字で、その繩は大麻の繊維が活用されて繩になって、土器とか土偶の紋様になったという話に繋がってくるんですよね。従って、繩文は麻文化であるという理解を僕の中でもしています。すなわち繩文というのは植物を主體とした非常に長い時代を繁榮した社會だったということが分かるんですよ。その中で土偶も魅力的なんですが、土器もなんか普通の食べ物を入れるためだったら合理的じゃないですよ。
集中力が時間を超えるキーワード
僕たち現代人の想像力と創造力から比べると、もうレベルも枠組みも全く違うくらいに縄文人の想像力と創造力、クリエーション力とイメージ力は凄かったという言い方ができるんですよ。 それだけじゃないです。もう一つ大事なのが集中力です。この集中力が時間を超えるキーワードだと知ってください。僕たちの體験の中にもあると思います。集中してた時ってどうですか?子どもの時、今現代でもあると思いますよ。集中してるとどうなります?没頭しますよね。没頭するとどうなりますその先?無我夢中っていう境地になるんですよ。無我夢中の靈止勝手に(ひと)が今何時何分か知ってるでしょうかね。知らないんですよ。無我夢中を體験して、そして體験した後に現実に引き戻された時に、みんな共通性を持って言うのは、「えっ!もうこんな時間が経っちゃったの!あっという間に経っちゃったじゃん」て思うんだけど、振り返ってみると、無我夢中になっている時間の密度っていうのは濃いんですよ。 本当に太陽が上がる、太陽が沈む、お月様の満ち欠けも含めて、そういう自然の、天體のサイクルや、地球上での生命體が全部時を奏でてくれてるんですよ。そういう自然の循環と繋がってるから時計はいらないし、暦のことを研究する余地もないし、自分と時間と空間が一體となって、自分の好きなように時間をつくり、空間をクリエイションしてたという、とんでもないアートな社會なんですよね。だから、僕たちはそういう風になるんですよ。みなさんも無我夢中になったことあるでしょ。無我夢中になったらそういう時間の世界から超えたっていう體験をしたと思うんですよ。ただ現代人でもその體験は断片的にあるんですが、継續してないだけだったんです。だから、今後は継續していくんですよ。 では、継續するとはどういうことかって言うと、要は今まで継續できるはずないじゃないですか。本當に好きな仕事してますかって話なんですよ。だから、本當に集中できること、没頭できること、無我夢中になれることっていうのはその靈止にとって大好きなこと、得意なこと、興味が尽きないことなんですよ。だから、大好きなこと、得意なこと、興味が尽きないことをやれば、自然に没頭し、その先は無我夢中になって、それをあとはやり續けさえすれば、時間を超えるわけですよ。
本當の時間にはアートが内在されてる
本當の時間にはアートが内在されてるんですよ。嘘の時間という時計の時間を聞いても、チクタク、チクタクしか聞こえんですよ。これは退屈なんですよね。本當の時間と繋がれば、鳥の鳴き聲が聞こえる、花が咲くのが見える、そして惑星の周期が、太陽が、月の巡りが全部理解できるようなアートの大宇宙の中に生かされているという理解を超えた、理屈を超えた境地になるんですよ。だから、そういう境地が今求められてるんですよ。自然と繋がるということは本来の天然時計を天然時間を取り戻すってことですから。
それが第三の目、チャクラ
人間は體内生體時計という自然と呼応するリズムを持ってるんです。この體内生體時計というのはサーカディアンリズムとも言って、全ての天然のリズム、テンポ、サイクルと呼応してます。だから、時計の時間で慣れ親しむと、天然時計が非常に機能しなくなっちゃうってことを僕も知ってるので、遊びながら樂しみながら、時計を持たずいろいろやっていて。もちろん携帯持ってますからいろんな所を歩いていれば時計というのは無尽蔵にありますからね。時計を拒絶してるわけではないんですが。そういう風に自分の中で面白く可笑しく実験してるんですよ。そういう流れの中で僕自身も體内生體時計があると、それがうまく機能しているか、していないかっていうことが、要するにいろんなチャンスを掴むっていうこととも関係してきます。 この體内生體時計をちゃんと調整している器官があるんですよ。それが第三の目、チャクラで言うと6番目のチャクラのとこですね。 眉間に體内生體時計を調整、コントロールしている器官であり、そして、物理的に言うと、精子と卵子が受胎してわずか3週間で完璧に完成する器官があるんですよ。松果體という器官です。人間の器官の中で最も早く完成するところではないかなって言われてる器官なんです。ここの松果體が一つのコントロールセンターになって、ホルモンの分泌も調整しているんですよ。ホルモンの分泌だけではなくて、體内生體時計と連動してるんですね。 メラトニンというホルモンはベータエンドルフィンとか脳内モルヒネとか、脳内マリファナとか、ドーパミンとか、あらゆる脳内ホルモンがありますよね。その脳内ホルモンをここの松果體がセンターとなって、コントロールというか自然に調整してるんですが。その中にメラトニンというホルモンがあります。このメラトニンというホルモンは病氣の治癒と関係あります。血液中の活性酸素をことごとく中和することで知られているホルモンなんで、メラトニンというホルモンが分泌していると病氣になりにくかったり、鬱病のひとはメラトニンというホルモンがほとんど分泌しないわけですよね。こういう状態になってるんです。 このメラトニンというホルモンが面白いのは、これは第三の目の働きとも関係あるんですけど、メラトニンというホルモンが分泌しているという状態は非常に直感的になるんですよ。あらゆるインスピレーションも生まれるんですよ。それが特に起きている時ではなくて、寝ている時に行われるから、寝ている時に見ている夢という世界でいろんなメッセージを人間に託してくれるんですよ。だから、このメラトニンというホルモンはとても重要であるという風に僕自身は思っていて。このメラトニンというホルモンが昼に光輝いて、太陽の光をたっぷり浴びて、夜暗い方が出るってことは、まるでこれは植物のメカニズムにそっくりだなと。 心眼という世界とも関係あります。ここの松果體が開いているか、開いていないかっていうことは、物事を樂しめるか、樂しめないかっていうこととも凄く関係があるという言い方ができます。例えば、この松果體が開いていれば、感覚、感性で感じたことをそのまま行動に移すことができるんですよ。しかし、この松果體がクローズして閉じていれば、感覚、感性で響いたんだけれども、それをアクションとしてする時に「だって、それってダメでしょ。だって、それって變に思われるでしょ」とか。マインドが働いてしまうんですよ。それによって行動できなくなっちゃうんですよね。またはできにくくなっちゃうんですよ。だから、この第三の目が開いているってことは、直感に基づいて行動していくっていう形から考えると、スムーズになってくるんですよね。 それともう一つ。この第三の目が開いていると、目に見えない世界を見届けるってことができるようになって、それを心眼とも言うし、場合によっては神通力みたいな世界とも繋がってくるので。以心傳心とか、蟲の知らせとか、そういうことが分かるようになるわけですよね。だから、ヒンドゥー教の三大神の一つであるシヴァ神は第三の目が開いてるっていう形で描写されているし、チベット、ネパール、インドに数多く存在している如来様とか、仏さまとか、ある意味で菩薩様って言われる世界の中では第三の目が開いているという。こういう形で表されているアートが非常に多いわけですよ。
第三の目を開かせないようにという意味も含めて、アメリカの1ドル札の裏側にはピラミッドの上に目を當てて、第三の目を開かせないようにっていう形としてのロックの意味
この第三の目が開いていれば、見えない世界を見えることができる。この目は肉眼ですから。形ある世界を見えることができる。これ両方セットなんですよ。見える世界だけだと見えない世界を信じなくなっちゃうんですよ。または見える世界が劣っていて、直感、感覚だけが研ぎ澄まされ過ぎると、どうしても三次元の世界がおざなりになって、おいてけぼりにされちゃうんですよ。今回は三次元も四次元も五次元もあらゆる世界が一體となるど眞ん中の世界ですから。そのど眞ん中の世界に意識を集めるという意味で集中というキーワードになってくるわけですよね。そう考えても分かるように、この第三の目が開いている状態で、見えない世界を見据えるっていう意味と、見える世界をしっかり見届けているというこの三角形が明確になっていると、靈止として見える世界と見えない世界、エネルギーと物資、過去と未来、全部今っていう時間軸で統合されるんですよ。統合されちゃったら、もう自分に聞いたら全部分かるようになっちゃうから。先生いらない、参考書いらない、學校いらない、警察いらない、裁判所いらないみたいな。そういう世界になっちゃうと、今の世界から見るとコントロールできなくなっちゃうでしょ。だから、コントロールするためには、逆接的に言うと、第三の目が開いていると困るんですよ。だから、第三の目を開かせないようにという意味も含めて、アメリカの1ドル札の裏側にはピラミッドの上に目を當てて、第三の目を開かせないようにっていう形としてのロックの意味があるアートをしてきて、それがアートとしての考え方としても、現実の政策としても今まで浸透してたんですよ。 そして、第三の目が開いてくると、本當に全部が循環してきますからね。第三の目が開かないと悶々としてきて、それって下の方に溜まりやすいんですよ。女性だったら子宮だと思います。男性だったら睾丸だと思います。そういうところに本當にエネルギーが停留して、溜まっちゃうので、變な意味じゃなくて慾求不満になって。慾求不満というのは男性と女性のセクシャリティの話ではなくて、自分の好きなことができないってことです。自分の好きな仕事ができないってこととも関係ありますから。そうやって全てのエネルギーが停滞してくるんですよ。だから、この第三の目が開いてくると、本當にマインドっていう取り越し苦労とか、不安とか心配ってことをちゃんと通過して、喜びの世界に直通で行けるようになるので、その靈止の人生が劇的に變わってくるんですよ。だから、劇的に變わらないように、奴隷にするためには、第三の目を開かせたくないから、そういうロックをしてきたんですよ。
秘密結社とか、イルミナティとか。もうイルミナティという段階じゃありませんよ
それも現象界に現れている物語としてはもう終わってるんですよ。何年か前に日本のお札が千円札がリニューアルされて、野口英世さんが出たでしょ。1000円札を見てくださいね。裏から見ると、富士山の八合目くらいに野口英世さんの目がありますから。だから、この形が完全に一ドル札の封印を解く形なんですよ。だから、事実上封印はもう解かれているので、もうあんまり心配しなくてもいいんですよね。秘密結社とか、イルミナティとか。もうイルミナティという段階じゃありませんよ。みんながいるじゃんという形でいるみんなティーっていうお茶會を開いた方がいいですよね(笑)フリーメーソンよりもフリーソーメンの方が美味しいなみたいな(笑)もうそういう形に面白、可笑しくしていった方がいいんですよ。笑うと無条件にロックがぶっ飛ばされるんですよ。そして、腹から笑うと下に停滞してたエネルギーも分散していきますから。本當にみんなが笑えるような社會を創っていくっていうことが、現代人の一つの天命でもありますから。
*引用文終わり
古代ロマンですね。
私たちは人類の進化の頂点にいるような錯覚を起こしがちで、古代とは原始文化で
低俗で野蛮というイメージを抱いてしまいがちですが、それは果たして
どうなのでしょうか?
私たちは、むしろ、平和で戦争のない古代人の生活にこそ
明日のあるべき社会の理想を見つけ出せるのかも知れません。