<人類の文明はもしかして叡智後退しているのか・・・> 繩文時代はかなり面白いし、かなり長いし、要は持続可能で永続可能な社会のシステムや暮らしのあり方があった
今の教育では繩文時代は10000年くらい、15000年くらい続いたとされてるんですが、実はは10萬年前にカタカムナ人がいたんですよ。そして、カタカムナ人というのは繩文人の中の一つの種族で、もっと前から人類はいました。 ということは、最低でも50萬年くらい続いてる。場合によってはその倍の100萬年くらいは続いてるのではないかな?
中山弥栄塾 DVD
*上記サイトDVDより引用、詳細は上記URLよりご参照ください
今の文明の象徴と言ったら、アメリカ合衆國を中心にして構築された文化・文明だという風に理解してますが、この文明はたった600年でもう滅亡の危機を迎えているというくらいに不合理な価値観の上にのっとった社會システムですよね。 そこから考えると、50萬年以上續いていた繩文時代というのはどんな時代だったのでしょうか。文部省の教育や今までの資料を見てもなかなか分からないんですよ。まだ發展途上の理解ですから、まだまだ分かってきてないんですが、実際には最低でも萬年単位續いていたということは、まさに有限なものが無限に續いていたし、永續可能、持續可能な社會が実際には日本の古い歴史の段階で存在していたということは揺るぎない事実ですよね。
僕たちは繩文という原点に回帰していく原点回帰の時代を迎えていますが、それは歴史的、時間的に遡って元に戻るわけではなくて、この繩文のエッセンスを踏まえて、未来にアートしていく新たな始まりの時ということを受け取っていただいて。この繩文と言葉で言っても奥行きは非常に深いです。その意味で今日は繩文のことをちょっと踏み込んで、皆様とシェアしたいと思います。 繩文時代は長く續いていました。繩文とは彌生のそれとは違って、かなり藝術的でした。そして、今までの學術ではなんか未開人みたいなような、ある意味で野蛮な世界のように思われていたんですが、最近繩文の考察や研究で分かってきたことは、かなりぶっ飛んでいます。彼らはかなり豊かな生活をしていました。オシャレもしていたし、繩文はどんぐりでクッキーを作ったり、麻の繊維でポシェットを作ったり、とにかく様々なものを天然の素材から作ってたんですね。
現代人は意識として、考え方として”相對”の世界で生きています。”あなた”と”わたし”が分離しています。心と體が切り離されています。宇宙と地球も全然違う枠組みとして考えられてしまっていて、良い・惡い、闇・光などという二元性に基づくジャッジの意識から分離の社會という意味での體験と経験をしてきたんですね。 そのように二つの視点を自分の中で統合する。この視点と意識を持っていたのが繩文人ですから。繩文人は”相對”なる世界で生きてなくて、相對の反對語は”絶對”です。絶對とは全體であり一體なんですね。 従って、繩文人は一體なる意識を持って、生きていたということです。一體なる意識を持って生きていれば、”あなたはわたし”だったんです。”向こうはこっち”だったんですよ。闇は光の故郷だったんですよ。光は闇をベースにして存在しているものだったんですね。分け隔てすることができないということが絶對を超えた一體なる意識なんですよ。
一體なる世界を生きていた繩文人は”個”の概念を超えていたということも含めて、自分自身が欠乏しているということがありえないんですよ。だから、もう自分自身は滿ち滿たされているので、コップになみなみと注がれている水のように。それでもまだ注がれている状態のように溢れていて。その溢れたものが自分の仲間や近い靈止や、ある意味でのファミリーに傳わっていたという溢れ愛の世界ですね。 皆様も食事をする時に、例えば目の前にたくさんの食べ物が並べられていて、お腹が空いていて、たくさん食べて、お腹も滿腹になったとしますよね。そのタイミングで新たな参加者がやってきたとします。その方はまだ食べてないので、空腹状態だったとしたら、それを奪いませんよね?「もう自分は食べたので、どうぞ、どうぞ」と。「僕たは食べたのでどうぞ食べてください」ってなりますよね。 そういうことが繩文人として日常的に行われていたということなんですね。これはもう自分は欠乏感なく、すべきこと、やるべきことがやれているし、自分の物語を生き、自分の生きがいを生き、自分自身を生きれていたので、もう滿たされてるわけですよ。 この「どうぞ」精神がずっと續いていたから、物凄い時間、戰いなく永續可能な社會を創っていたんですね。繩文時代の出土物を研究すると、全く争った痕跡がないんですね。
繩文時代は全く争いがないということは、全く争わなかったということも含めて、なぜ人間が個性の違う、特性の違うもの同士が出会っていて、争わないかというと、繩文人は現代人の欠乏意識と違って全て滿たされているからです。そして、相對ではなく一體なる意識を持っていたので「どうぞ!どうぞ!どうぞ」という譲る精神から譲ってきたがゆえに争いになっていなかったということなんですね。 現代人は確かに社交辞令的に、ある意味で譲る精神は多少持っています。でも、我先にと思ってしまう意識が台頭していることによって、バッティングと對立と挙げ句の果てには戰争みたいなものになってしまっています。繩文人は一切そういう想念を持っていないということからも原型の意識は一體なる世界で生きていたということなんですね。一體なる世界で生きていたから、相對的なものはほとんど二つで一つという理解をしていたので、譲るという精神ができていたんですね。 その後、大陸からいろんな靈止たちがやってくると、そのやってきた靈止たちに對して、「来るものは拒まず」。そして、自分たちがちゃんと生活していた場を「どうぞ!どうぞ!どうぞ!」と明け渡して、自分たちはまた別の場所に移動していきました。このことが日本の神話における國譲りという形で殘っているんですね。 ここが分かると実は繩文は封印されたのではないと理解できるんです。封印されたのではないと分かると、繩文が自ら譲ったと理解できると、譲った繩文がいつか返り咲いてくるというシナリオも観えてくるんですね。
*引用終わり
長野産矢尻、北海道で出土 620キロ離れた縄文遺跡で
http://this.kiji.is/109839644121908732
共同通信 47通信